働くこと、そして神様は

現内閣が「働き方改革」を掲げて久しくなります。
その内容は様々な方面からの反対も多く、日本経済の現状からして、私自身も今やるべきかと懸念を持地続けています。

中国の経済大国化、イノベーションを掲げて世界進出する新興国のメーカー群など、こんな世界経済の中で日本だけがのほほんと「働きすぎは良くない」と議論しあってるのですから、全くおめでたい国になったものだなと呆れています。

世界第2位の経済大国であったニッポン、世界に勤勉さを誇っていたニッポン、どの国よりも働くサラリーマンが支えていたニッポン。高度成長期と言われた時代がリーマンショックと同時に終焉して過去の日本は崩れ去り、そこからはひたすら守りに徹してきた日本。それは、堕落と逃避の始まりだったのかもしれません。

「よく働く」までをも「働きすぎ」にしてしまう、「余計に働いてもらっちゃあ困るよ派」が蔓延し始めた今時の社会。
「一生懸命」は美徳でないと、そもそも実力が無いことへ触れられないようにするがために声をあげる人達。
既得権益に死に物狂いの政界の面々。
お笑いが席巻する陳腐なテレビ業界。
嫉妬、妬み、無責任がまかり通り、それらがじわじわと癌となり社会全体を侵食しています。

随分と昔になりますが、衆院選か参院選かの時期にある政治家が、選挙活動のため地方へ赴いた様子がテレビで流れていました。高齢の応援者に囲まれ笑顔を振りながら握手をするその政治家に、その中の一人がこう言っていました。

「お願いです。お金に困らない世の中にしてください!」

これを聞いた瞬間、「だからダメなんだよ!」とテレビの中へ吐き捨てたのを憶えています。
その心中は、楽してお金が欲しいと言っているだけにすぎません。結局お金に執着する事から永遠に離れられないのです。

巷では、神◯◯といった言葉が溢れてるほど、神様が安く使われる世の中です。個人的には、どれだけ大袈裟なんだと思ってますが。

信心も無いのに神様がいると、本当に思っているなら、都合のいい愚か者です。